札幌サイクリング協会の沿革
昭和29年(1954年)日本サイクリング協会(JCA)が発足し、札幌においてもYMCAやユースホステル活動が活発になるにつれて、スポーツとして自転車に乗る人たちが増えてきました。
昭和30年10月に、北海タイムス社とユースホステル協会の共催で茨戸までのサイクリングが開催され、30数名の参加者がありました。
昭和31年7月に、当協会の現メンバー「アカシアサイクリングクラブ」が結成され、この年、東京と札幌から自転車旅行団を出発させ仙台で合流後、東京へツーリングするという企画が行われ「アカシアCC」4名が参加し東京都主催の歓迎会に参加しました。
昭和32年4月にYMCA主催で初めてのサイクリング講習会が開かれ、「アカシアCC」が講師を務めました。
その翌日、講習会参加者を含め、50数名で札樽国道を張碓橋までサイクリングが行われました。 8月には、札幌教育委員会(市教委)主催で支笏湖一泊サイクリング大会が開催され、当時市内にあった5クラブ(アカシアCCを含む)がリーダー役を務めました。
市教委の斡旋で9月20日にこの5クラブで「札幌サイクリスト協議会」が結成され、事務局を市教委の社会教育課に置くこととなりました。
略称『札サ協』のもと、5つのクラブが交代で世話役を務めて活動する事が昭和37年まで続きました。
昭和33年、レクリエーション協会が中心となって、関係団体(道教委、札サ協、道YH 協会、交通公社、HBC、札幌観光協会、自転車商業組合など)が集まり、北海道サイクリング協会(HCA)設立準備委員会が作られました。
9月14日に「HCA設立総会」が開かれました。
昭和37年4月4日に第一回全道サイクリングラリーを開催するにあたり、今までの『札サ協』を発展的に解消して、札幌サイクリング協会を設立することになりました。
事務局はHBC局内に置かれ、設立時のクラブは、札幌CC、アカシアCC、丸石CCの3クラブでした。
昭和37年設立以来、58年間札幌市内及び札幌近郊のサイクリングクラブの連合体として、一貫してサイクルスポーツの健全な発展、サイクリングの基礎知識と走行方法の普及、サイクリング指導者の育成そしてサイクリング行事の開催及び協力を行ってきました。
この間、各地の子供たちを対象とした「おはようサイクリング」、羊蹄山麓の町村と協力して開催した「ぐるっと羊蹄ワンダーサイクリング」、石狩管内4市町村と共催した「石狩平野ちょっとサイクリング」、南空知5町村に協力した「どうどうめぐりサイクリング」などのイベントを開催してきました。
現在では、視覚障がい者の方々とサイクリングをする「タンデムサイクリング大会」などのボランティア活動やサイクリストの“走りたい”をかなえる「センチュリーランサイクリング大会」など多彩な活動を行ってきました。
あわせて、各行政機関に安全な交通体系の整備や交通安全施策の要望や協力を行っています。
札幌サイクリング協会事務局
〒063-0823 札幌市西区発寒3条3丁目6-39-101 百田方 札幌サイクリング協会
札幌サイクリング協会の役員
会 長:百田 亮海:個人会員
事 務 局 長:工藤 淳二:江別CC
相 談 役:金田 一夫:江別CC
(2024年7月 現在)
札幌サイクリング協会会員の指導員資格者
サイクリング・ディレクター1級
小川 魁
古舘 一也
石垣 秀人
山口 豊
浜上 尚也
大平 晶子
サイクリング・ディレクター2級
吉田 清司
サイクリング・インストラクター <アクティブ>
金田 一夫
秋元 謙一
大川 博
小枝 登
北野 英行
水野信太郎
百田 亮海
長 宣和
サイクリング・インストラクター <リセス>
政野 順一
越後 敏之
白川 雄平
工藤 淳二
沼田 貴宏
蓮沼 英司
平佐 英則
越智 光春
川口 一哉
上田 浩朗
阪井 義一
サイクリング・リーダー
北森 康行
鈴木 龍宏
福村 篤志
小関 孝徳
山口 勇気
福田 泰
作山 智洋
佐藤 順子
渡邊 隆
小枝 和洋
中村 淳一
若狭 賢一
高橋 博道
中村 文昭
中前 千佳
平出 渉
原 文宏
小川 陽
太田 晋吾
太田 明子
上窪 健一
鈴木 徹哉
小西 信義
冨田 真未
斉藤 博之